大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

奈良地方裁判所 平成2年(ヨ)30号 決定 1990年5月15日

債権者

と蓄場建設反対期成同盟

右代表者会長

伊豆強次

右代理人弁護士

吉田恒俊

佐藤真理

相良博美

坪田康男

北岡秀晃

西晃

松岡康毅

黛千恵子

津田広克

阪口徳雄

債務者

奈良県

右代表者知事

上田繁潔

債務者

財団法人奈良県食肉公社

右代表者理事

上田繁潔

右両名代理人弁護士

川村俊雄

本家重忠

中本勝

以呂免義雄

主文

一  債務者らは、平成二年一一月三〇日まで(同日までに、債権者と債務者ら間の別紙工事目録記載の工事についての話し合いが合意に達した時には、その時まで)、別紙物件目録記載の土地上において、同工事目録二の(二)の(9)ないし(13)記載の建設工事を続行してはならない。

二  債務者奈良県は、平成二年一一月三〇日まで(同日までに、同債務者と債権者間の前項記載の話し合いが合意に達した時は、その時まで)、別紙物件目録記載の土地上において、同工事目録二の(二)の(4)記載の建設工事を続行してはならない。

三  債権者のその余の申請を却下する。

四  申請費用は債務者らの負担とする。

理由

一当事者の求めた裁判

(債権者)

一  債務者らは、債権者との話し合いの合意に達するまでの間、別紙物件目録記載の土地上において、別紙工事目録二、の(二)の(9)ないし(13)記載の建設工事を続行してはならない。

二  債務者奈良県は、債権者との話し合いの合意に達するまでの間、別紙物件目録記載の土地上において、別紙工事目録二、の(二)の(4)記載の建設工事を続行してはならない。

三  申請費用は債務者らの負担とする。

(債務者ら)

一  本件申請をいずれも却下する。

二  申請費用は債権者の負担とする。

二主張及び当裁判所の判断

1  債務者らは、債権者が権利能力なき社団であることを争っているが、疎明(ことに疎甲二二の二)によれば、債権者は、別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という)に債務者らが建設を予定している食肉流通センター(統合と蓄部門と流通部門を併せ持つもの、以下「本件センター」という)に反対する目的をもって、昭和五七年二月二〇日に結成され、会運営の規約を有し、定期の総会及び常任委員会を意思決定機関とするもので、法人ではないが代表者(会長)が定められている権利能力なき社団であることが認められる。

2  まず、債権者は、昭和六二年六月一七日、債権者と債務者らとの間に、本件センター建設問題について双方が円満解決を目的として誠意をもって話し合いを行い、合意に達するまでの間、債務者らが本件センターの建設工事(以下「本件工事」という)を中止する旨の契約(以下「本件契約」という)が成立したと主張し、この契約に基づく右工事差止請求権を本件仮処分申請の被保全権利としている。

そこで、右主張について検討すると、疎明(ことに疎甲1ないし三、四の1、2、三八)によれば、債務者県は、本件工事について地元住民の理解を得るため、昭和六一年九月ころから翌六二年一月ころまで合計五回にわたって債権者と話し合いの機会をもったが、同意を得られなかったため話し合いを打切り、同年二月に本件工事を開始するに至ったが、同年五月に至って、債務者らは、債権者との話し合いを再開することを決定して同月二六日から翌六月一七日まで双方の交渉が続けられ、その間債務者県から別紙文書一及びその後の債権者の要望を採り入れて作成された同二(このうち二を「本件申し入れ書」という)が、債権者から同三(以下「本件回答書」という)が、相互に提出されるという経過を経て、同月一七日頃、債権者と債務者らの代理権限を有する清水徹(債務者県の農林部長で債務者公社の常務理事であった)との間において、両当事者とも本件工事問題について誠意をもって話し合い、債務者らは合意に達するまでの間本件工事を中止することを内容とする本件契約が成立したことが一応認められ、債務者らの、本件につき契約の成立に必要な効果意思の合致の不存在ないし法的拘束力を生ぜしめない紳士協定が成立したに過ぎない旨の見解は採用できない。なお、前記契約においては、右工事中止期間の終期につき合意成立以外に特に約定が明示的になされたことを認めるに足りる疎明はないが、本件疎明によって一応認められる本件契約成立に至るまでの両当事者による交渉の経過、本件申し入れ書及び回答書など右経過中に提出された文書の記載内容、本件工事問題についての両当事者の見解などの事情や一般的に契約締結に際して要請される信義則などを考慮して、本件契約内容を合理的に解釈すれば、債務者らの右工事中止義務は、当事者間に本件工事計画の続行、廃止あるいは変更などについて合意が成立するに至っていない場合でも、誠意をもった話し合いを継続する余地が無くなり、客観的にみて話し合いが終了したものと判断される時点に至った時にも消滅するものと解するのが相当である。

3  債務者らは、前項の合意が契約と解されるとしても、それは随意契約として、地方自治法二三四条五項、これを受けた奈良県契約規則一七条一項、一八条一項等の解釈上、右法条所定の契約書が作成されることが契約成立の要件と解すべきところ、本件では右契約書が作成されていないから、債権者主張の契約は成立していない旨主張している。

ところで、本件については地方自治法二三四条五項所定の普通地方公共団体の長又はその委任を受けた者が契約の相手方とともに記名押印した契約書が作成されたことの疎明は存しない。しかし、右条項では、「契約につき契約書を作成する場合においては」前記のような方式を備えた契約書の作成が契約の確定要件とされているに過ぎず、すべての契約について右契約書の作成を必要としているものとは解されない。ただ、奈良県契約規則一七条一項では随意契約の通知を受けた者は原則として知事とともに契約書を作成し、これに記名押印しなければならないと規定しているが、他方、同規則一八条一項には「契約金額が百万円未満の契約その他知事が特に契約書の作成を省略しても差し支えないと認める契約については、前条に規定する契約書の作成を省略することができるものとする。」との例外が設けられている。そして、<証拠>によれば、本件契約後のこれに基づく債権者との話し合いの場に債務者県知事(債務者公社の代表理事を兼務)自らが出席して、本件工事着手後これを中断して右話し合いをすることを自ら決断して踏み切った旨述べていることなど疎明に現われた諸事情を考慮すると、右知事は、本件契約締結前にその事実を知り、かつ、契約書の作成省略を明示ないし少なくとも黙示的に承認していたことが一応認められるものというべきである。従って、本件契約がその要式性を欠くことにより不成立である旨の債務者らの主張は採用できない。

4  債務者らは、仮定的に詐欺にもとづく本件契約の取消を主張し、本件契約締結前の交渉過程において、当時の債権者代表者は、債務者県からの話し合いについての具体的な提案に対して、当初から、あるいは右交渉の途中から、本件工事続行に同意する意思を有しなかったのに、これを秘して話し合いに応じる態度を示し、「話し合いをすれば解決できないことはない。」「最終的には県の方に歩み寄る姿勢は考えている。」などと発言し、近い将来に本件センター建設に同意する用意がある旨の言動をして、債務者らにその旨誤信させて、本件申し入れ書による約束をさせたものであるから、その意思表示を取消す旨主張し、さらに、債務者らは仮定的に錯誤による本件契約の無効を主張し、債務者らは、本件申し入れ書による申し入れの意思表示をした際、債権者には本件工事に同意する意思がなく、その白紙撤回を堅持する姿勢を変更する可能性がなかったのに、前記の債権者代表者らの言動などから本件工事に対する同意が得られる可能性があると信じて右意思表示をしたものであって、それには動機の点で要素に重大な錯誤があり、右動機は明示ないし黙示的に表示されていたから、無効である旨主張している。

ところで、疎明(<省略>)によれば、本件申し入れ書提出前の昭和六二年五月中旬頃における債務者側との折衝過程において、債権者の中川義隆会長が債権者の従前からの主張である本件工事の「白紙撤回」の要求も、債務者側の説明でその計画の必要性と合理性についての理解が十分に深まれば、検討する余地がある旨の発言をしていたこと、他方、債権者と債務者らは昭和六二年六月二〇日から翌六三年三月一四日まで二一回(別に現場説明会二回)にわたる会合をもち、関連資料の提出、説明、討議が行われたが、合意には達しないまま同年三月二七日に開催された債権者定時総会(第一三回)に提出された決議文の中で、「この話し合いの中で、私たちは、教育、財政など未だ論議されていない問題を指摘し、追求します。これによって、計画を白紙撤回する以外には解決の道はないことを、県民の前に一層明らかにすることが出来るものと確信しています。」との決意が表明されたことが一応認められる。しかしながら、債権者はその設立時点から本件工事の白紙撤回をその運動目的として主張して来たことは疎明上明らかであって、もともと債務者らと対立する立場を採っていたものであり、このことを債務者らが理解していなかったものとは解しがたいところであって、債務者らが前記のような債権者会長の意向を聞いたことにより、本件工事についての債権者の同意を得られるものとの希望を持ったとしても、それを信じたか疑問があるし、また、本件のような反対運動において、相手方との交渉を開始する以前の段階で、その後の話し合いの成果を期待し、その進捗状況によっては自らの反対の態度を検討する余地のあることを表明することは通例考え得ないことではなく、これを把えて欺罔の意思を有していたものと推認するのは相当でないし、さらに、前記のような決意表明がその団体の総会でなされたとしても団体である以上その構成者や中心的活動者、反対運動を取り巻く状況や事情の変化等により団体意思の変動が生ずる余地があることも考えると、直ちに本件工事白紙撤回の姿勢が動かしがたいものと確定したと断定するのは相当でない。従って、これらの点からみると、債務者らの本件契約についての詐欺による取消及び錯誤による無効の主張は、いずれもその余の点について検討するまでもなく採用できない。

5  次に、債務者らの事情変更による本件契約解除の主張について検討すると、疎明によれば、本件契約締結当時に債権者の代表(会長)であった中川義隆他四名がその後昭和六三年六月頃に至って債権者から除名され、新たに現会長らの役員が選任されたことが一応認められるが、本件のような団体的運動においてその方針等についての内部の意見対立からその中心的活動者(役員)の交代が急激に行われることは予測しえないことではないから、このような債権者内部における事情の変更も、債務者らにおいて契約当時に予見しえなかったものともいい切れないうえ、このような債権者役員の変更という事情によってその運動方針に変更が生じることがあるとしても、それが債務者らを本件契約内容のとおりに拘束しておくことを信義則上著しく不当と解すべき事情に当るものと認めるべき疎明はないから、本主張もその余の点について検討するまでもなく、理由がないものといわなければならない。

6  次に、債務者らは、債権者の本件工事中止請求は権利の濫用であって許されない旨主張するので、この点について検討すると、疎明によれば、債権者と債務者らは、本件センター建設に関して、昭和六一年九月一六日から翌六二年一月二一日までの間に五回、同年六月二〇日から翌六三年四月七日までの間に二二回(別に現地説明会二回)さらに平成元年七月一五日から翌二年二月二一日までの間に一五回という多数回にわたって話し合いを行い、その間債務者らは債権者の指摘する問題点等について多数の必要資料を提出し、本件工事について債権者が危惧の念を抱く点や疑問点についての説明を行い、債権者の了解をうるよう努力を続けて来たこと、これに対して債権者側からは本件工事についての疑問点の説明を求め、債務者らの説明に対して反論ないし不充分さを指摘するという経過をたどり、債権者から本件工事に同意する方向での提案や意見の提出がなかったことが一応認められるが、債務者らの主張するように本件センターの事業が開始した場合に客観的にみて債権者及びその構成員に格別の被害、不利益が生じないものと断定するに足りる疎明はないし、右の長期にわたる話し合いの内容についての疎明を検討すると、債権者側には、多数者が参加して討議がなされた場合にありがちな、その場の雰囲気に合わせて論点からはずれた感情的な意見が出たり、その場の思い付きの発言がなされて討議の進行が遅滞するような場面があったことは否定できないが、債務者らが主張するように、債権者が、右話し合いが型式的に続いてさえいれば、債務者らにおいて本件工事を再開することができず、事実上本件センター建設計画の白紙撤回を要求する自己の主張を貫徹できるとの立場を悪用して、徒に無理難題を持ち掛けたり、円満解決のための具体策とは関係のない不毛の議論を蒸し返したりして、無制限に話し合いを引き延ばし、ことに前記の最後の一五回の話し合いに際し、債務者らが公害問題に論点を移すよう促し、既に提出している資料によって説明しようとしたのに、債権者が意図的にこれを拒み続けて仮処分決定で定められた期間を経過させるなどして、本件センター建設計画の完成を意図的に妨害しているとまで断定しうるに足りる疎明はない。従って、本主張も採用できない。

7 次に、債務者らの期限到来による本件契約の失効の主張について検討すると、すでに検討した本件契約締結に至るまでの交渉経過、当事者双方の本件工事についての立場、合意内容及び契約締結後の交渉経過等の事情を参酌すると、本件契約では債務者らの本件工事中止義務は「合意に達するまで」とのみ明示されているが、その趣旨は条件ではなく不確定期限を定めたものであり、その期限は先に判断したように客観的にみて話し合いが終了した時にも到来すると解するのが相当というべきである。ただ、右の話し合いが終了したという判断をするについては、本件契約では本件センターの建設問題について双方が誠意をもって話し合うことがその内容となっているから、右問題に関して双方のいずれかが問題点としている事項について十分な資料の提出、説明、討議が尽されることが前提となっているというべきである(なお、債務者らは、後記の五つの論点について話し合うことは本件契約の内容となっていないから、その論点全てについて話し合う義務を負担するものではないというが、後記のように債務者らが、本件契約後の話し合いの過程において右論点について話し合うことを了承している以上、これを終了しない限り「誠意」を尽して話し合いを完了したものとは解されないこととなる)。ところで、債権者と債務者らは、右問題について前項のように多数回にわたって話し合いのため会合を持ち、多数の必要資料の提出があり、その説明と討議が行われているのであるが、疎明によれば、右話し合いの当初の段階において、債権者から用地選定・買収問題、治水問題、教育問題、経営問題、公害問題の五つの論点について債務者らに資料の提出を求めるとともに討議することを提案し、債務者らもこれを了承してこの提案に沿って話し合いを継続してきたのであるが、前項の最終の話し合いが打切られた段階でみると、右の各問題中でも重要性を有すると解される公害問題については、資料の提出や他の同種施設の現場視察の際などで多少触れる機会はあったものの、実質的な話し合いは殆んどなされておらず、また、その余の問題についても債権者はなお話し合いが未了な点が残存しているとして討議の継続を望んでいることが一応認められる。右のすでに討議がなされた四項目についても、それぞれの内容からみて、それを如何なる観点からどの程度まで討議することが相当とみるべきかは双方の立場によって大きく食い違うことも止むを得ないのであって、現に疎明(ことに本件話し合いの議事録)をみると、そのため食い違いが生じている場面が多々みられるのであり、債権者が右四項目についても討議が未了な部分が残存しているとしているのも、疎明に現われた現在までの話し合いの経過、内容からみてあながち不当とはいえない。

そうすると、客観的にみて本件センター建設問題についての双方の話し合いが尽されたとみうる段階に至っていないものというべきであるから、この点でも前記の不確定期限が到来しているものとみるのは困難というべきである(なお、右話し合いが未了の段階においても、双方の態度などにより、客観的にみて合意成立が不可能と断定できる事態が発生した場合においては、右期限が到来したものと解する余地があるとしても、前記のように債権者が昭和六三年三月二七日の総会において本件工事の白紙撤回以外に解決の道はないとの決議をなしたことや債権者の役員の交替がなされたことによって、債務者らの希望する債権者の本件センター建設に対する同意を得ることが困難となったことはうかがえるとしても、客観的にみてその同意が不可能となったものとまでは断定しがたいし、他に前記事態が発生したことを一応認めるに足りる疎明はない)。従って、本主張もその余の点について検討するまでもなく、理由がないというべきである。

8 そうすると、債権者は債務者らに対し、前記のように不確定期限内において、本件契約に基づき本件工事をなさないことを内容とする不作為請求権を有するものというべきところ、疎明によれば、本件仮処分申請において工事続行の禁止を求めている別紙工事目録二の(二)の(4)、(9)ないし(13)記載の各工事(上記(4)は債務者県のみの、その余は債務者両名の担当工事)が未完了であるが、債務者らは本件仮処分申請後も継続してこの工事を続行しており、このままでは本件建物が完成してしまい、債権者に回復し難い損害が生ずるおそれがあることが一応認められるので、これを避けるためには債務者らに対し、前記担当部分に関して本件工事の続行を禁止する必要があるものというべきであるが、疎明上明らかな本件工事の現在における進捗の程度、本件差止が認容された場合に債務者らが被ると予想される経済的及び公共的損害、現在まで債権者と債務者らが本件センター建設問題に関して行った話し合いの進捗程度(反面でみると、話し合い未了ないし不充分な論点の数、内容)、話し合いの所要時間を含めた進行経過等諸般の事情を考慮すると、本件工事続行禁止期間を平成二年一一月三〇日までとする限度で保全の必要性があると解するのが相当であるから、本件仮処分は右限定で認容すべきである。

三結論

よって、債権者の本件仮処分申請は右の限度で理由があるから保証を立てさせないでその範囲でこれを認容し、その余は理由がないのでこれを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法九三条、九二条、八九条を適用して、主文のとおり決定する

(裁判官大石貢二)

別紙<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例